昭和50年03月09日 特別奉修委員



 信者には大きなおかげを頂かにゃ、大きなおかげを頂かにゃって言ったって、本当の事じゃないと思うですよね。私はあの、是は若い時から、私の座右命でしたけれども、あの節を元気な元気な心で受ける人は伸びると言う。あのものを書いてから何時も、あの貼っておりましたがね。そして矢張りあのそれをあの確かにまあ出来たり、出来なかったりではあったけれども、そういう一つの下稽古が、あの成り行きを大切にすると言った様な事になって来たんじゃないかとこう思うですね。
 ですからもうなら私はもう、絶対もう成り行きを大事にすればおかげになると確信しとるから。んなら皆さんが、例えば節を大事にして行く人は伸びるとこう思い込んでですね、日の内にでも何回もまあ小さい節がありましょう。其処ん所を元気な心で受け抜いて行くという、あの行の上に現される。ね。そして私が言っておる事が成程本当だと言う事をね、一つあの体験して頂き。ね。
 私が頂かずしてあの言っておるのではない。私自身がなら大きなおかげを頂いて、皆さんもじゃあしっかり大きなおかげを頂かにゃんばい。大きなおかげを頂く為には、心をいっちょ大きくせなんばい。私はね、例えばその言うだけで、私自身が頂け切ってなかったらね、皆さんが言うなら稽古の張り合いがなかろうと思うんです。私は合楽の場合はだから本気でね、皆さんがあのその気に成りきってしまわれるのがだから不思議なくらい。私が一つの見本を持ってどういうかと言うと。
 いやそりゃ先生のごたる真似は出来んっち言うてから。そう言う風に言うです。ね。だからそれじゃいかん。やっぱりあの私って言うても人間ですから、人間がしたあの成して来た事ですから出きん事はない。それが稽古ですからね。今日は是はどういう意味か知らんけれども、あのマンガにね三木総理さんがあの大黒様になって御座る。そしてその因幡の白兎にね、あのガマの穂を敷いて休めとこう言う。
 所がその赤裸になっとったその因幡の白兎がね。ああおかげで良くなった。おかげでようなったとこう言う。そしたらその三木総理の大黒様がね、そんなら私も寝て見ろうかっち言うてから、その寝て見よるマンガが出とったんです。ね。そのマンガを今日頂きました。そして皆さんに今の話しを聞いて頂いたんです。ね。私の大黒様は、私の自身がガマの穂が素晴らしい事を知っておるから、ガマの穂を敷いて休めと言ってるんです。ね。所がなら、多くの例えば先生方がおられますがね。
 自分自身がガマの穂が効く事も暖かい事も知らずしておいて、ガマの穂をねその敷いて寝れと言うたって、やっぱりそれを言われた通りにしないはずだとこう思うんです。まあそういうな事からヒントを得て今の話しを聞いて頂いたんです。そしてあのー私がまあ青年時代から、私の座右命であった言うならば、成り行きを大切にすると言う是がもう、今日は私は改めて気付かせて頂いたんですけれども。
 こう言う事が、あの成り行きを大事にすると言った様な、御事柄として受けると言った様なもう元の所はね、そう言う事をまあ出来る出来んは別として何時も心掛けておったと言う事。節を大切にする人は伸びると。節を元気な心で受けて行く人は伸びるという。是は青年時代の私の座右命でした。だから本気でね、もう例えば一日の内に何べん節があるやら分からん。その節はもういいかげんにしといてから、只おかげが頂きたいと言うだけではいけない。と言う事なんです。
 今あの川上さんのお導きで西村さんと言う方がお参りをして来てる。丁度ここに座ったとたんに電話が掛かって来るのが延岡の西村さんじゃけんね。ね。だから私が言うたら、ああ偶然ですなって言う訳ですね。だから偶然じゃなかばい。是はねもう本当に神様の働きの微妙さ。だからね言うならばあんた達が、夫婦で今日は参って来たと言いよるけれども、参らせて頂いておるとばい。と言う様な事を話した事ですけれども。始めからそれが実感として分かるはずがありません。
 けれどもね、皆さんの場合はそこん所が、はぁっち言うてから日頃皆さんが言うでしょうが。それ言うたばっかりで。ここに西村さんが座ったとたんにじゃんじゃん電話が掛かって来た。それがどうかっち言うたら、私は延岡の西村で御座いますっちゅう電話が掛かって来るとじゃけんね。だから私が、自信を持って私が、あの西村さんにお取次ぎが出来る訳です。あんた体がこまかけんで、心なっと大きくせんの。そりゃ絶対心が大きくなるばいと言うてですね。もうこれは確信を持って伝えられる。だからんなら西村さんが本気でいっちょ今日から大きくなろうという気になりゃ必ずおかげ頂くです。
   どうぞ。